日语语法助动词练习2

2016-10-20 07:39:09作者:佚名来源:本站原创

日语语法助动词练习2

古典 文法 助動詞 練習問題(2)
範囲…なり(断定) たり(断定)]
 
1.次の文章を読んで、後の問いに答えなさい。

 心なしと見ゆる者も、よき一言言ふもの[ ① ]。
 ある荒夷の恐ろしげなるが、かたへにあひて、「御子はおはすや」と
問ひしに、「一人も持ち侍らず」と答へしかば、「さては、もののあはれ
は知り給はじ、情なき御こころにぞものし給ふらんと、いと恐ろし。
子ゆゑにこそ、よろづのあはれは思ひ知らるれ」と言ひたりし、さも
ありぬべき事アなり。恩愛の道[ ② ]では、かかる者の心に慈悲あり
なんや。孝養の心なき者も、子持ちてこそ、親の志は思ひ知る[ ③ ]。
 世をすてたる人の、よろづにするすみ[ ④ ]が、なべてほだし多かる
人のよろづにへつらひ、望みふかきを見て、むげに思ひくたすは
ひがごとイなり。その人の心にウなりて思へば、まことに悲しからん親の
ため、妻子のためには恥をも忘れ、盗みもしつべき事エなり。されば、
盗人をいましめ、ひがごとをのみ罪せんよりは、世の人の飢ゑず、
寒からぬやうに、世をば行なはまほしきオなり。人、恒の産なき時は、
恒の心なし。人、きはまりて盗みす。世治らずして、凍餒[とうたい]の苦しみ
あらば、とがの者絶ゆべからず。人を苦しめ、法を犯さしめて、それを
罪なはん事、不便のわざなり。
 さて、いかがして人を恵むべきと[ ⑤ ]ば、上のおごり費やす所を
やめ、民を撫で農を勧めば、下に利あらん事、疑ひあるべからず。衣食
よのつねなる上にひがごとせん人をぞ、まことの盗人とは言ふべき。
(徒然草・一四二段)
(1)[ ① ]~[ ⑤ ]に「なり」を適当な形に直して入れなさい。

(2)下線部ア~オの中で、文法的に異なるものを選び、記号で答えなさい。

(3)次のア~エで本文の内容と合うものはA、違うものであればBと記号で
 答えなさい。

 ア.子供がゆえに全ての情趣を思い知ることができる。
 イ.無一者が親や妻子がたくさんいる人の悪口を言うのは間違いである。
 ウ.人を苦しめさせて、法を犯させて処罰する政治はかわいそうである。
 エ.衣食が足りていている人が悪事をする人を本当の盗人という。
解答
2.次のA~Cの「たり」で文法上、異なるものを選び、記号で答えなさい。

 A.忠盛備前守たりし時、(平家物語・殿上の闇討ち)
 
 B.但馬の国のあきたりけるを賜びにけり。(平家物語・殿上の闇討ち)
 
 C.もとは一門たりし木工助平貞光が孫(平家物語・殿上の闇討ち)

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解答:
1. (1)①なり ②なら ③なれ ④なる ⑤なら

(2)ウ
  ウは四段活用動詞「なる」の連用形。他は断定の助動詞「なり」。

(3)  ア.B  イA.  ウ.A  エ.A
 

本文口語訳  
情趣を理解しない人と思われる人でも、よいことを一言は言うものである。
 ある東国武士で恐ろしい感じの人が、友人に向かい、「お子さんはいらっ
しゃるのか」と問うと、「一人もいません」と答えたところ、「それでは人情を
ご存じないでしょう。人間味のないお心でいらっしゃいますことと思うととても
恐ろしい。子供がいてこそ、すべての情趣はわかるのです。」と言っていたが
実にそうに違いない。肉親の愛情の世界でなくては、こういう者の心に慈悲
の心が本当にあるのだろうか。親孝行の心がない者も、子供を持ってこそ、
はじめて親の気持ちがわかるのである。


 世を捨てた人で無一物の者が、一般に親や妻子をたくさん持っている人に、
なにごとにもお世辞を言い、欲深いのを見て、むやみに非難するのは間違い
である。その人の気持ちになって考えれば、実にいとしい親や子供のために
は、恥を忘れ、盗みまでしかねないのである。なので、盗人を捕らえ、その
悪事のみを罰するよりも、世の中の人が飢えることなく、寒がることのない
ように、政治を行いたいものだ。人は、定まった財産や職業などがない時は、
定まった良心もないのである。人は生活にせっぱつまれば盗みをしてしまう
ものだ。世の政治がうまくいかず、寒さや飢えの苦しみがあるのならば、罪人
はなくなるはずがない。人を苦しめ、法律を犯させ、それを処罰するというのは
かわいそうなことである。


 では、どのようにして人に恩恵を与えられるのかといえば、上に立つものが
ぜいたくや無駄遣いをやめ、人をいたわり、農業を勧めるならば、下の人民に
利益があるのは疑いのないことである。衣食が世間並みで、それでもなお、
悪事をする人を、本当の盗人というべきである。
  
2. B
 Bは完了の助動詞「たり」、AとCは断定の助動詞「たり」。

 A.忠盛が備前の守であった時に、
 B.但馬の国の国司に欠員ができたのでお与えになられた。
 C.もともとは平家一門であった木工助平貞光の孫で、