背水之陣の出典

2016-11-03 07:52:14作者:佚名来源:本站原创

背水之陣の出典
『史記しき』淮陰侯伝わいいんこうでん

背水の陣の語源・由来

背水の陣は、中国の史記『淮陰侯伝』の故事による。
漢と趙との戦いで、漢軍の兵士は寄せ集めばかりだった。
そこで漢の『韓信(かんしん)』は、あえて川を背に陣を敷き、兵士達が退けば溺れるほかない捨て身の態勢にした。
趙の軍は、兵法の常識を破り、川を背にして陣をとった漢の軍を見て大笑いしたが、韓信の目論見どおり漢軍の兵は決死の覚悟で戦い、見事勝利をおさめたというものである。
この故事から、失敗の許されない状況で全力をあげて事にあたることを、「背水の陣を敷く」「背水の陣で臨む」というようになった。

背水之陣の句例
◎背水の陣で事に当たる


背水之陣の用例
上陸を完了するとただちに、軍船ことごとくを元就が本土に回送させ、いわゆる背水の陣を布しいたのは、「勝たずば帰らじ」との覚悟を、さらにはっきり、全軍に形で示したわけだろう。<杉本苑子・決断のとき>


背水之陣の類義語
破釜沈船はふちんせん


背水之陣の故事
中国漢かんの韓信かんしんは趙ちょうとの決戦にあたり、わざと川を背にした陣を敷いて退却できないようにし、自軍に決死の覚悟をさせて大勝利をおさめた故事から。


代という国は、もともと戦国時代には趙の一郡であり、北のはずれにある。この時代には項羽の諸国分割により独立の体をなしていたが、事実上は趙の属国といってよかった。

 代王は、名目上陳余である。

 しかし陳余は政務を宰相の夏説(かえつ)に任せ、自分は趙王の後見人として邯鄲にいることが多い。

 戦略上重要なのは代より趙であるので陳余の気持ちもわからないわけではない。しかし置き去りにされた代の住民は哀れであった。本来国を守備するはずの戦力は趙に持っていかれ、代を守る兵は極端に少ないのである。

 しかし、逆にこのことがかえって代の国民を救うことになった、ともいえる。

「……守る気があるのか疑いたくなる陣容ですな」

 軍事には明るくない蒯通でさえ、そのように言った。

「陳余は代を失っても構わない、と考えているのだろう。そのぶん趙の防衛は固めているに違いない。しかし、いただけるものならいただいておこう」

 韓信はそう話し、代城を囲んだ(代は国名であるのと同時に都市の名でもある)。

「戦略上、無駄な戦いというものは、敵兵にとっても味方にとってもよくないものだな」

 そう話す韓信の隣には、蘭がいる。

 韓信は蘭を危地には置きたくないと考えていたが、蘭が応じなかったため、やむなく常に目の届くところに置くことにした。立場は幕僚といったところか。とはいっても韓信は基本的に戦術は自分ひとりで考案し、実行する。蘭には話し相手になってもらえればよかった。頭の中だけで戦術を練るよりは、会話をした方が構想を具体化しやすかったのだろう。

「将軍がそう言われますからには……投降を呼びかけるのですか?」

 蘭の問いに韓信はしばし考え、返答した。

「……いや、なまじ投降などを勧め、相手が応じなければ籠城が長引く。それでは付き合わされる住民にとってはいい迷惑だ。速攻即決、これに限る」

 韓信は兵力を集中させ、城門を撃ち破ると同時に城内に騎馬兵を侵入させ、あっという間に制圧した。宰相の夏説は逃亡し、西の閼与(あつよ)まで逃れて抵抗を試みたが、そこで眼前に弓矢を構えた兵士を目の当たりにし、硬直してしまった。

「民を思い、降伏するか。それとも代王への忠節を果たすか。貴公が忠節を果たそうと思えば、代の幾多の城市はことごとく焼け、民は死ぬ。貴公もやはり死ぬだろう。しかし降伏すれば、民は救われ、貴公も死なずにすむのだ」

 弓を構えた兵が言っているのではない。

 その隣にいた兵がまるで通訳でもするように語っているのだった。

「念のために聞くが、降伏したら、私の忠節はどうなるのだ」

 夏説は恐怖におののいた声で、尋ねた。

「……代王はいずれ……我々が討つ。死人に忠節を誓っても……意味はない」

 弓を構えた兵士が、たどたどしい調子で答えた。地図代・閼与・井

 それは楼煩人のカムジンであった。

 代は短期間で韓信の手に落ち、宰相夏説は捕虜となった。代の住民は戦乱に巻き込まれることが少なく、このため漢の統治を容易に受け入れたという。

 この戦いで得た代兵の捕虜は三千名ほどであったが、韓信はやはりそれを劉邦のもとへ送った。

「陳余という男は学者肌であってな。兵書などはよく読んで理解している。しかしわしの見る限り、頭の固いところがあるようだ。兵書に書いてある以上のことは、決してしない」

 張耳は趙への道すがら、韓信にそう話して聞かせた。

「例えば?」

「陳余の陣形は基本に忠実で、見た目も美しい。しかしそれだけでは勝てぬ。一言でいえば、やつには応用力が乏しい。わしが鉅鹿で章邯に囲まれていた時も、陳余は並みいる諸侯軍の中で最もきらびやかな軍容を保ちながら、何もできなかった」

「なるほど……ところで張耳どのと陳余は刎頸の契りを結んだ間柄とお聞きしていますが、いま陳余を討つことに対してためらいはございませんか」

 張耳は、韓信の問いにため息をついた。

「本音を言えば……陳余を殺さずにすむのならそうしたい。魏の県令だったわしと陳余は昔、秦によって二人とも首に懸賞金を賭けられ、逃亡生活を送った。苦楽をともにした朋友なのだ。それがどうしてこうなったか……所詮はわしに人を見る目がなかった、ということなのだろう。いずれにしてももはや、わしと陳余は並び立つことはできない」

「……討つことに迷いはないと?」

「しつこく聞くな。迷いはない」

 韓信は、信じられなかった。人はこうも割り切れるものなのか……。それというのも、韓信は旧友の鍾離眛を討てなかったのである。

――私が、弱いということなのだろうか。

 思いに沈む韓信の背に、蘭の手が添えられた。

 韓信の軍は閼与から東へ進軍を始め、山岳地帯にはいった。趙軍は井陘口(せいけいこう)でこれを迎え撃つべく、二十万もの兵を集めた。

 大軍である。

 対する韓信の軍は、魏や代に駐屯する兵や、劉邦のもとに送った兵を差し引いて、三万程度しかいなかった、と言われている。

 加えて井陘という地名はその字の通り井戸のような形をしていることに由来しており、四方が山に囲まれ、中央は谷となって深く沈み、その底に川が流れている。

 水量は決して多くはないが、戦場に川があることは戦術上の制約が多い。川そのものを防衛線として利用されれば、攻める側は非常に不利である。

 ましてそこに至るまでの道が、険しい。

 山中のことなので道幅が狭く、行軍は横に広がらず、縦に伸びる。これは行軍に分断の危険を伴うことを意味した。

 圧倒的不利の条件であった。韓信は密偵を送り、状況の把握に務めた。

 一方そのとき陳余は幕僚の李左車(りさしゃ)から、熱のこもった献策を受けていた。

 その李左車は言う。

「漢将の韓信は、平陽で魏王を虜にし、閼与で夏説を生け捕り、勝ちに乗じております。いま韓信は張耳を補佐として得、謀議して趙を降そうと画策しており、その鋭鋒には正面から当たるべきではありません。ところが幸いなことに井陘への道は狭く、車や騎馬が並んで行けないことは、我が軍にとって有利でございます。つきましては私に兵三万をお貸しください。間道から出陣し、敵の横っ腹を討って分断いたしましょう。その間、本隊は塁を高くして陣営を固め、防御に徹すれば、敵は進もうにも進めず、退こうにも退けず、十日以内に韓信・張耳両将の首を持参することができます」

 陳余はこれを聞き、不快感をあらわにした。

「なにを言う。兵法に『敵に十倍すれば、これを囲み、二倍ならば戦う』とあるではないか。いま韓信の軍は数万と称してはいるが、実際には二万かそこらだろう。まして彼らは千里の道を歩き、我が軍と対峙しようとしているのだ。いくら勝ちに乗じているといっても、疲れているに決まっている。この程度の敵を正面から敗れないようでどうする」

 李左車はなおも食い下がった。

「しかし、聞くところによりますと韓信は詭計を得意とするとか。こちらが正面から迎え撃とうとしても、やつらが正面から現れるとは限りません。現状では地の利はこちらにあるのですから、それを最大限に利用することを考えるべきではないですか」

 陳余はそれに対して鼻で笑うような態度を示した。

「君は、政治というものをわかっていない。戦争というものは、勝てばそれでよいというものではないのだ。いま我々が有利な立場にありながら、弱い韓信の軍を騙し討ちにしたと世間に知れたら……諸侯は趙を懦弱(だじゃく)な国と評し、軽んじるだろう。軽んじられれば、攻め入られる。それが道理というものだ」

「漢軍が弱いと、はたして言い切れますか? おそれながら正々堂々と戦うのは武人としての本懐ではありますが、この戦いにおいて趙は負けることは許されず、確実に勝つ方策を採らねばなりません。あなたにはそれが……」

「もうよい。下がれ。すでにわしは君の策を採らぬことに決めた」

「…………」

「君は、戦場では趙王のそばにおり、護衛に徹しろ。それ以上のことはするな。王はもともとこの戦いに乗り気でないゆえ、窮地に立たされると安易に降伏しかねない。目を離すな」

「…………」

「わかったのか」

「……御意にございます」

 この会話の一部始終が密偵によって韓信の耳に入った。これにより韓信は井陘に至る隘路の途中に伏兵がいないことを確信し、安心して軍を進めることができたのだった。

「私が思うに、陳余という男は戦争を美化して考えているな。正義とか、男の見栄などを重視しているように思える」

 韓信の言葉に、即座に張耳は反応した。

「それはそうだろう。彼は儒者だからな」

「! そうでしたか。それは初耳でした。……しかし、だとすれば、彼は腐れ儒者だ。戦争の本質がなんたるかをまるでわかっていない。以前の私と同じように、彼は戦争を競技のように考えている」

「ほう……」

「戦争には少なからず、犠牲が伴う。そうである以上、手法はともかく勝たなくては意味がない。陳余は李左車の意見を取り入れるべきだった。他に方法があるのに、正々堂々と正面から戦うことなど……偽善だ。反吐が出る」

 張耳は韓信が感情をあらわにするのを初めて見た。意外に思ったが、しかし言いたいことはわかる。

「だが、それによって我々に勝機が見えてきた、違うか?」

「確かに。兵法に通じた陳余の鼻っ柱を折ってみせよう……いや、すみません。張耳どのの旧友であることを失念して、少し興奮してしまいました」

「構わん。すでに袂を分かった、と言っているではないか。その様子では充分に勝算があるのだな?」

「はい」

 韓信の頭の中には、すでに作戦の構図が描かれていた。

 韓信は井陘口の手前三十里に陣を留め、その日の深夜、カムジンを始めとする騎兵二千人を招集した。

 それら騎兵一人一人に赤い旗を持たせ、韓信はここに至り、初めて作戦を明かしたのだった。

「諸君はこの赤い旗を持ち、間道から趙の砦に近づいたところで、待機しておれ。くれぐれも見つからぬように林間に身を潜めているのだぞ。私は本隊を率いて趙軍と正面から戦うつもりだが……、その際あえて敗れたふりをするつもりだ」

「は……?」

「私が敗走する姿を見れば、砦の中の趙兵は追撃を始めるに違いない。つまり、そのとき砦は無人となる」

「…………」

「その瞬間を逃さず諸君はいち早く砦に侵入し、趙の旗を抜き取り、この赤い旗を立てよ」

 そう言いながら、韓信は兵たちに軽食を配った。

「作戦前のことなので腹一杯食わせてやることはできぬが……今日、趙を破ったのち、みなで一緒に会食することにしよう」

 朝飯前に戦局が決する、というのである。

 兵たちは了承の返事をしたものの、誰も本気で信じる者はいなかった。せいぜい士気を高めるくらいの発言だと思ったのである。

 しかし、韓信は本気だった。

 

 趙軍は塁壁を築いてそれに身を隠し、さすがに軽々しくは出撃しない様子であった。

 すでに地勢を得ているのだから、じっくり時間をかけて戦うつもりだろう。

 これを見た韓信は、士卒に対してこう言い放った。

「趙軍は軽挙妄動を謹む構えを見せているようだが、彼らの自制心を解放する術を私は知っている。……それは大将たる私自身が突出し、その結果敵陣の中に孤立することだ」

 士卒たちは、それを聞いてざわつき始めた。

「それでは危険すぎます」

「それこそ、軽挙妄動ではないのですか」

 韓信はそれを手振りで制し、

「私は死ぬつもりはないが、事実その危険はある。君たちはそうならないようせいぜい踏みとどまって、私を守れ。我々が勝つか負けるかは、そこが分かれ目である」

と言った。

 そして敵が守備に徹して動きを見せないのをいいことに悠々と進軍し、なんと川を背にして陣取ったのである。

 趙軍はその様子を見て大笑いした。

「韓信は兵法を知らない」

「自ら退路を断つとは、しろうと同然」

 味方の漢兵も口にこそ出さないが、同じようなことを思った。